3月のお墓参り|桜の蕾と共に迎える春の始まり

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風の中に、ふわりと春の香りが混じるようになりました。
まだ少し肌寒い日もございますが、陽の光は日増しにやわらかく、道端の草木も少しずつ命の息吹を取り戻しているようです。

3月は、卒業や新たな門出など、別れと出会いが交差する季節。
そして、ご先祖様へ思いを馳せる「お彼岸」の時期でもございますね。

固く閉じていた桜の蕾が、一日一日と膨らんでいく様子は、まるで新しい季節の始まりを告げる手紙のよう。
その姿に、私たちは生命の不思議な循環を感じずにはいられません。

わたくし、森川季子は、長年のお墓参りを通じて、季節の移ろいの中に故人との対話を見出してまいりました。
この記事では、春の訪れを告げる霊園でのひとときを、皆さまとご一緒できればと存じます。

霊園へ向かう春の朝

冬の名残と春の兆し

今朝は、少しひんやりとした空気が心地よい、穏やかな晴天でございました。
厚手のコートを脱ぎ、春物の薄手のものを羽織って家を出ます。

三寒四温とはよく言ったもので、昨日までの暖かさが嘘のように、今朝は冬の名残を感じる空気でした。
しかし、頬を撫でる風はどこか優しく、厳しい冬のそれとは違う趣がございます。
これこそが、春の入り口に立つ実感なのかもしれません。

霊園への道すがら見つけた小さな春

いつもの道をバスに揺られ、霊園へと向かいます。
車窓から見える景色は、まだ冬枯れのようでありながら、注意深く見つめると、あちらこちらに春の兆しが隠れておりました。

  • 生垣の足元に、可憐なオオイヌノフグリの青い花。
  • 日当たりの良い斜面に、顔を出し始めたつくしたち。
  • 神社の境内では、満開の梅が甘い香りを漂わせています。

こうした小さな発見の一つひとつが、心に温かい灯をともしてくれるようで、自然と笑みがこぼれますね。

鳥の声、風の匂い、光のやわらかさ

霊園の入り口に立つと、街の喧騒が遠のき、澄んだ空気が満ちていました。
「ホーホケキョ」という鶯の初音が、どこからともなく聞こえてまいります。
まだ少しおぼつかない鳴き声が、なんとも微笑ましいものです。

土の匂いを含んだ湿った風、木々の間から差し込むやわらかな陽光。
五感で春の訪れを感じながら、ゆっくりと石段を上り始めました。

桜の蕾と心の対話

お墓の前で語りかける「春ですね」のひと言

祖父母と両親が眠るお墓の前に立つと、いつも心がすうっと静かになります。
お墓のすぐそばには一本の桜の木があり、まだ固い蕾をたくさんつけておりました。

「お母様、お父様。
今年も春がやってまいりましたよ」。
心の中で、そっと語りかけます。
言葉にはならぬ想いが、胸の内にあふれてまいりました。

故人の記憶と桜の風景

この桜の木を見るたびに、家族で出かけたお花見の記憶がよみがえります。
父はいつも、満開の桜の下で「今年も見事だなあ」と目を細めておりました。
母は、桜の花びらが舞う様子を「まるで雪のようだわ」と、うっとりと眺めていたものです。

風景は、大切な記憶の引き出しを開ける鍵のようですね。
この桜の木は、私にとって、両親との思い出をつなぐ架け橋のような存在なのでございます。

桜の蕾に託す想いと願い

まだ固い桜の蕾。
しかし、その一つひとつの中には、満開の景色が約束されています。
この蕾に、私は家族の健康と、子どもたちの幸せをそっと託しました。

「願わくは 花の下にて 春死なむ そのきさらぎの 望月の頃」

西行法師が詠んだように、古来より日本人は桜に特別な想いを寄せてまいりました。

はかなくも美しいその姿に、命の尊さや輪廻転生を重ねてきたのでしょう。
この蕾たちが花開く頃、またここへご報告に参りますね、と心に誓いました。

春のお供えと墓前のしつらえ

季節の花と、故人が好んだ甘味

春のお墓参りには、春らしい彩りの花を選びます。
今日は、菜の花とスイートピーを束ねてまいりました。
黄色と優しい桃色が、墓前をぱっと明るくしてくれます。

そして、お供えには「ぼたもち」を。
春のお彼岸には、春に咲く牡丹の花にちなんで「ぼたもち」をお供えするのが習わしです。

甘いものが好きだった父も、きっと喜んでくれることでしょう。

清掃の手順と気持ちを込めた作法

お墓の掃除は、故人をお迎えするための大切な準備でございます。
心を込めて、丁寧に行います。

  1. 合掌:まず、ご先祖様にご挨拶をいたします。
  2. 草むしり:墓石の周りの雑草をきれいに抜きます。
  3. 墓石を清める:濡らした柔らかい布で、墓石の汚れを優しく拭き取ります。文字の溝も丁寧に。
  4. 水鉢などを洗う:花立や水鉢、香炉をきれいに洗い、新しいお水を入れます。
  5. 仕上げ:最後に乾いた布で水気を拭き取り、清掃は完了です。

一つひとつの所作を丁寧に行うことで、不思議と自分の心も洗われるような気持ちになります。
これこそが、お墓参りがもたらす静かな時間なのでしょう。

茶道の心得を活かした所作と静けさ

お線香に火を灯し、静かに手を合わせます。
長年嗜んでおります茶道では、「一期一会」の心を大切にいたします。
このお墓参りもまた、故人と向き合う一度きりの大切な時間。

背筋を伸ばし、ゆっくりと呼吸を整えると、心が静寂に満たされていきます。
風の音、鳥の声、そして自分自身の心の声だけが、そこにはありました。

墓参のあとの霊園散歩

咲き始めた梅と草花の息吹

お参りを終えた後は、少しだけ霊園の中を散策するのが私の習慣です。
日当たりの良い場所では、白梅や紅梅が美しい花を咲かせておりました。
桜の華やかさとはまた違う、凛とした気品のある佇まいです。

足元に目をやれば、水仙がすっと背を伸ばし、小さなクロッカスが顔をのぞかせています。

冬の間に溜め込んだエネルギーが一斉に芽吹く、春の生命力にはいつも感動させられます。

春の一句:霊園で詠む俳句の時間

教師時代、俳句部の顧問をしていたこともあり、季節の情景を十七音で切り取るのが長年の趣味でございます。
今日もまた、心に浮かんだ一句をそっと手帳に書き留めました。

春光や 蕾の桜 語りけり

やわらかな春の光の中で、桜の蕾が何かを語りかけてくるような、そんな穏やかな気持ちを詠んでみました。
俳句は、季節との対話を楽しむ、素晴らしい時間でございます。

小さな自然との出会いとその記録(写真・メモ)

散策の途中、小さな発見があれば写真に収めたり、メモを取ったりするのも楽しみの一つです。
今日は、苔むした石の間から顔を出す、小さなスミレの花を見つけました。
こうした何気ない風景が、後から日記を読み返したときに、その日の空気感まで思い出させてくれるのです。

故人とともに歩む春の入り口

ふとした瞬間によみがえる会話や仕草

春の陽気の中を歩いていると、ふと、故人との何気ない会話や仕草がよみがえってまいります。
「季子、少し暖かくなってきたから、庭の手入れを始めないとな」と話す父の声。
「春の七草、今年は全部見つけられるかしら」と笑う母の顔。

彼らはもうここにはおりませんが、私の記憶の中で、こうして生き続けてくれているのです。
お墓参りは、そのことを再確認させてくれる、かけがえのない時間なのだと感じます。

父母の春の記憶と重なる今日という日

私が今見ているこの春の景色を、父も母も、かつて同じように見ていたのかもしれない。
そう思うと、時を超えて、故人と心がつながるような不思議な感覚に包まれます。

私が季節の移ろいを美しいと感じる心は、きっと両親から受け継いだもの。
この感性を、今度は私の子どもたちへ、そしていつか生まれるかもしれない孫へと、伝えていきたいと願っております。

生きている自分への問いかけと感謝

ご先祖様がいて、両親がいて、今の私がここにいる。
この当たり前のようで奇跡的な生命のつながりに、深く感謝の念が湧き上がってまいります。

「私は、今日一日を大切に生きているだろうか」。
お墓の前に立つと、いつも自分自身にそう問いかけるのです。
故人に見守られながら、明日からもまた、穏やかに、そして丁寧に日々を重ねていこうと、改めて心に誓いました。

まとめ

春のお墓参りは、ただ故人を偲ぶだけでなく、新しい季節の訪れとともに、生命のつながりを実感する貴重なひとときでございます。

今回の記事でお伝えしたことを、簡単にまとめさせていただきますね。

  • 春の訪れを感じる:3月の霊園は、冬の名残と春の兆しが混在し、鶯の初音や草花の芽吹きに生命力を感じられます。
  • 故人との対話:桜の蕾に故人との思い出を重ね、心の対話をすることで、時を超えたつながりを感じることができます。
  • 心を込めたしつらえ:季節の花や「ぼたもち」をお供えし、丁寧に掃除をすることで、心も清められます。
  • 生命の循環への感謝:お墓参りを通じて、ご先祖様から続く生命のつながりに感謝し、今を生きる自分を見つめ直すことができます。

「暑さ寒さも彼岸まで」と申します。
これから日ごとに、過ごしやすい陽気となってまいります。

あなたも、春のやわらかな風に包まれて、大切な方へ会いにお墓参りをしてみませんか。
きっとそこには、穏やかで心温まる時間が待っているはずでございます。

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